【マジックセラピー】~看護師TOMOの夢~

目次

1.何故看護師でありながらマジックをするようになったのか

私TOMOは、大学病院で癌病棟の呼吸器科、小児腫瘍科での看護師をしておりました。

私がマジックを始めたきっかけは、ガン病棟で闘病している患者さんに何か出来ることがないかと考えたことです。身近なもので、道具なども少なく手軽でとてもやりやすそうだなと思ってマジックを選びました。

初めはトランプマジックの簡単なものを選び、練習して実際に患者さんに披露しました。看護師の業務中ということもあり、隙間時間にこっそりとやっていたのですが、初めて見せた患者さんにとても喜ばれました。

「抗がん剤治療中、凄く不安だらけだったけど、一瞬だけでも現実を忘れることができました。ありがとう」このように言ってくれました。とても簡単なマジックでしたが、私も凄く楽しかったです。それからはトランプマジックを主に練習し、隙を見ては患者さんにこっそりと披露するという日々を送りました。

2.プロを目指すようになったきっかけ

そんなある日、当時26歳だった私は1人の患者さんに出会いました。25歳の男性の患者さんです。この方は肺癌を患い治療中だったのですが、気道に転移したことで気道を圧迫。そのままでは呼吸ができなくなってしまうので、気管切開術というものを行いました。

喉に穴を空け、直接空気を取り込むというイメージが分かりやすいかもしれません。これで呼吸ができるようになったのですが、喋ることができなくなってしまいました。抗がん剤治療も虚しく、治療効果もあまり期待できないような状態でした。日に日に元気はなくなり、常にベッドで過ごすようになっていきました。

私がその方の担当になった時、日曜日で仕事が落ち着いていたこともあり、マジックをする機会がありました。当時はまだトランプマジックしかできませんでしたが、いざやろうとしたときに気付きました。

カードを選んでもらう元気がない

かなり体力が落ちていて、マジックに興味があるけれど、参加をする元気が体になかったのです。当時はまだカード当てのトランプマジックしか出来なかったため、まずは選んでもらわないと先に進みません。しかも、言葉も出せないのでコミュニケーションに時間がかかります。

どうしようか困っていたところ、病室のドアが開き、リハビリの先生(PT)が入ってきました。これはもうグッドタイミングだと言わんばかりに私はリハビリさんに代わりにお手伝いをしてもらうようお願いしました。

代わりに1枚引いてもらって、患者さんと一緒に覚えてもらって、そして戻してもらって‥‥

無事選ばれたトランプを当てた時、驚きでとても目を大きく見開いていたことを覚えています。そのあとは笑顔になり、何度も頭を下げて頂きました。しかし、その時初めて私は「トランプだけではちゃんと楽しませることが出来ない」と感じたのです。

「次見せるときは、見てるだけでも楽しくなれるやつ覚えてくるから!」そう約束しました。このとき初めてトランプのマジック以外のものができるようになりたいと思いました。

それから私は自分なりに色々とマジックについて調べ、あまりお手伝いが必要ではないもの。見てるだけだったとしても楽しめるものについて調べ始めました。スポンジだと握ってもらう必要があるからダメだ‥大きなリングとかだと道具が大きくなってしまうからダメだ‥等、知識が無いなりに考えていました。

その間にも他のスタッフに「○○さんがまたマジック見せてもらうんだって楽しみにしてるよ」などと言われたりして、はやく期待に応えなくては!と思っていました。

ある日のこと、やっと覚えるマジックを見つけ、練習してできるようになりました。今日そのマジックを披露するぞと意気込んで出勤した朝、病棟に着いたとき何か慌ただしい様子でした。場所はその患者さんの部屋です。

夜勤のスタッフに何があったのか確認すると、まさにたった今その患者さんが急変で亡くなったと言うのです。

絶望でした。

その時まず私が思ったことは、約束を守ることが出来なかった。です。

そして、こうも感じました。

もともと沢山のレパートリーを持っていたのなら、トランプ以外のマジックができていたのなら、もっと笑顔にすることができていたのに。

その日から私は今まで以上にマジックにのめり込むようになり、この出来事があったからこそ、今現在プロとして活動をしているのだと確信しています。

3.師匠との出会い

私は独学でマジックを学んでおりましたが、途中から1人では限界があると思い、人から本格的に学びたいと思うようになりました。その時に出会ったのが現在の師匠であるマジシャンTommy氏です。

師匠はこれまで独学で学んできた私の実力を評価してくれ、「これならプロも目指すことができるよ」と背中を押して頂きました。それからはテーブルマジックだけでなく、ステージマジックも学ぶようになりました。

一方病院では、部署異動があり、今までの呼吸器科から新たに小児科へと配属になりました。

この頃には病院内でも私の噂はある程度広まっていたらしく、異動先ではマジシャンが来たなんて言われたりしました。元々子どもは好きだったので、この異動でキッズパフォーマーを目指すきっかけとなったと思っています。

師匠も色んなマジシャンを見てきているので、キャラクター的に子ども向けが良いのでは?と後押しをしてくれました。そして今ではメインはキッズパフォーマーをするようになりました。

4.看護師だったからこその夢

ある日患者さんのお部屋でマジックをする機会がありました。その時はカメラを使ったマジックをしたのですが、最後に患者さんのスマホで撮った時、そこには凄く良い笑顔で写る患者さんがいました。

この患者さんはその後その病室で亡くなってしまったのですが、写真としてご本人の笑顔の写真を遺すことができました。

これってとても凄いことではないでしょうか?終末期の患者さんで家に帰ることが出来ない。でも笑顔の写真を撮ることができた。もしこれが動画だったらどうでしょう。さらには動画の中に家族皆が入っていたら‥‥

その動画の中ではショーを楽しむみんなの笑顔が収められているはずです。もしも患者さんが亡くなってしまっても、その記録はずっと残っています。しかも楽しい思い出として遺すことができます。

私はその時、もしも病院に入院している人がいて、または自宅で療養している人がいて、思い出としてショーをして欲しいという人がいたら喜んで駆けつけたいと思いました。これは看護師である私だからそこ出来ることなのではないか。そう感じます。

これを実現するには病院側の許可であったりと懸念点はありますが、いつかは笑顔を増やし記録するという素敵なことが出来たら良いなと思っています。これがTOMOの夢なのです。

この記事を書いた人

TOMOのアバター TOMO キッズパフォーマー

全国の幼稚園や保育園で、お子様向けのマジック・シャボン玉ショーをしている、キッズパフォーマーのTOMO(トモ)です!

私は、もともと看護師をしており、ガン病棟で働いていました。そこには、自分の意志で身体を動かすことができない子も多く、病気と闘う子どもたちを笑顔にしたいという想いでマジックを練習するようになり、気づけばキッズパフォーマーとして全国を渡り歩くようになりました。

目次